サッカーの話をしよう
No169 不当に高いテレビ放映権料
ヨーロッパのサッカー史において、96年は「テレビの年」として記憶されるようになるだろう。
ここ数年で「欧州チャンピオンズリーグ」に大変貌をもたらしたテレビマネーは、今季から主要国国内リーグへの参入を開始した。イタリアやイングランドでは「ペイパービュー」(番組ごとに視聴料を払う)でどれでも見たい試合が見られるサービスが始まり、莫大な放映権料がサッカー界に流れ込んでいる。
さらに国際サッカー連盟(FIFA)が、2002年と2006年のワールドカップの放映権をこれまでの10倍以上の金額で売り渡したことが、大きな衝撃を与えた。1998年大会まで約100億円だった放映権料が、2002年には1000億円を超すことになったのだ。
このような状況で、ドイツの民間放送会社の首脳たちがFIFAに大きな改革の提案をしたのは、当然の成り行きだった。
「試合をアイスホッケーのように3ピリオド制にして、10分間ずつの休憩を入れる。またはアメリカンフットボールのような4クォーター制を採用する」
狙いはもちろん、CMの時間を確保することだ。
日本では、多くの民放はゲーム進行中に平気でCMを入れるが、ヨーロッパではそんなことはできない。試合前後とハーフタイムに入れるほかはないのだ。
BS放送やケーブルテレビの急速な発達によってヨーロッパでもチャンネルが爆発的に増えた。そのなかで多くの局がサッカーの放映権を求めている。「売り手市場」で、放映権料は莫大な額になった。
だが、サッカーは45分間もCMを入れることができない。非常に「非民放的」なゲームといえる。放映権料に見合うCMを入れるには、試合方法そのものの改革以外にないというのが、ドイツ民放の見解なのだ。そうでないと、「ペイパービュー」以外ではサッカーを見られなくなってしまうと主張する。
これに対し、元ドイツ代表監督のベッケンバウアーは「今世紀最大のナンセンス」と非難する。「そんなことをしたらサッカーのスピーディーな魅力が殺されてしまう」というのだ。
FIFAのブラッター事務総長も、提案を完全に否定するとともに、FIFA自身が数年前から実験していた「タイムアウト」(前後半にいちどずつ、両チームの監督がとることができる)も、当面、正式採用の予定はないと語る。
図式としては、「スポーツ」が「テレビの横暴」をはね返した形だ。だが私は割り切れないものを感じざるをえない。ベッケンバウアーもブラッターも、「提案」そのものへの評価しか語らず、根本的な問題にはまったく触れていない。それは、「放映権料が高すぎる」ということだ。
「相手にとっても適切な額」を考えず、駆け引きだけで放映権料をつり上げた結果が、「通常のテレビ放映の危機」をもたらしている。現在の放映権料では、日本でいえばNHKにあたる「公共放送」はとっくに手が出せない額になっている。このままでは民放も早晩撤退し、チャンネンルをひねっただけではサッカーを見ることのできない時代になるのは必然なのだ。
日本では、サッカーはいまのところ視聴率が悪く、テレビからのプレッシャーはそれほどでもない。
だが、ドイツの今回の騒ぎは、大きな教訓を与えている。それは、「欲張りすぎてはいけない」ということだ。「ギブ・アンド・テイク」の世の中、高額の放映権料をもらえば、それだけたくさんのものを要求され、スポーツの主体性は危機にさらされていくのだ。
(1996年11月11日)
ここ数年で「欧州チャンピオンズリーグ」に大変貌をもたらしたテレビマネーは、今季から主要国国内リーグへの参入を開始した。イタリアやイングランドでは「ペイパービュー」(番組ごとに視聴料を払う)でどれでも見たい試合が見られるサービスが始まり、莫大な放映権料がサッカー界に流れ込んでいる。
さらに国際サッカー連盟(FIFA)が、2002年と2006年のワールドカップの放映権をこれまでの10倍以上の金額で売り渡したことが、大きな衝撃を与えた。1998年大会まで約100億円だった放映権料が、2002年には1000億円を超すことになったのだ。
このような状況で、ドイツの民間放送会社の首脳たちがFIFAに大きな改革の提案をしたのは、当然の成り行きだった。
「試合をアイスホッケーのように3ピリオド制にして、10分間ずつの休憩を入れる。またはアメリカンフットボールのような4クォーター制を採用する」
狙いはもちろん、CMの時間を確保することだ。
日本では、多くの民放はゲーム進行中に平気でCMを入れるが、ヨーロッパではそんなことはできない。試合前後とハーフタイムに入れるほかはないのだ。
BS放送やケーブルテレビの急速な発達によってヨーロッパでもチャンネルが爆発的に増えた。そのなかで多くの局がサッカーの放映権を求めている。「売り手市場」で、放映権料は莫大な額になった。
だが、サッカーは45分間もCMを入れることができない。非常に「非民放的」なゲームといえる。放映権料に見合うCMを入れるには、試合方法そのものの改革以外にないというのが、ドイツ民放の見解なのだ。そうでないと、「ペイパービュー」以外ではサッカーを見られなくなってしまうと主張する。
これに対し、元ドイツ代表監督のベッケンバウアーは「今世紀最大のナンセンス」と非難する。「そんなことをしたらサッカーのスピーディーな魅力が殺されてしまう」というのだ。
FIFAのブラッター事務総長も、提案を完全に否定するとともに、FIFA自身が数年前から実験していた「タイムアウト」(前後半にいちどずつ、両チームの監督がとることができる)も、当面、正式採用の予定はないと語る。
図式としては、「スポーツ」が「テレビの横暴」をはね返した形だ。だが私は割り切れないものを感じざるをえない。ベッケンバウアーもブラッターも、「提案」そのものへの評価しか語らず、根本的な問題にはまったく触れていない。それは、「放映権料が高すぎる」ということだ。
「相手にとっても適切な額」を考えず、駆け引きだけで放映権料をつり上げた結果が、「通常のテレビ放映の危機」をもたらしている。現在の放映権料では、日本でいえばNHKにあたる「公共放送」はとっくに手が出せない額になっている。このままでは民放も早晩撤退し、チャンネンルをひねっただけではサッカーを見ることのできない時代になるのは必然なのだ。
日本では、サッカーはいまのところ視聴率が悪く、テレビからのプレッシャーはそれほどでもない。
だが、ドイツの今回の騒ぎは、大きな教訓を与えている。それは、「欲張りすぎてはいけない」ということだ。「ギブ・アンド・テイク」の世の中、高額の放映権料をもらえば、それだけたくさんのものを要求され、スポーツの主体性は危機にさらされていくのだ。
(1996年11月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。