サッカーの話をしよう
No170 審判と監督の間に信頼関係を
96年のJリーグは相変わらずの「審判トラブル」続きだった。
11月13日に行われた「ポストシーズン・トーナメント」(間違っても「真の王者決定戦」ではない)のサントリーカップ準決勝では、清水エスパルスと名古屋グランパスの対戦でエスパルスのアルディレス監督がベルナール・ソール主審への執拗な抗議で退席処分となった。そのあげく、エスパルスはソール主審が不当にPK戦で自チームのサポーター側のゴールを使わなかったと強い不満を訴えているという。「レフェリーに対する不信感ここに極まれり」という観だ。
こうして監督やチーム、そして彼らの影響を強く受けるサポーターと、レフェリーたちの間に不信感があふれていることは、Jリーグのみならず日本のサッカー全体にとって大きな不幸と言わねばならない。
両者にはそれぞれの言い分があるに違いない。
レフェリーたちは、監督や選手たちのマナーがあまりに悪く、人格的に問題があり、フェアプレー精神などかけらもないと指摘するだろう。一方、監督や選手たちは、レフェリーたちの技術の低さや、あまりに権威をふりかざし、カードを乱発して、しばしば「問答無用」といった態度をとることに強い不満をもっているに違いない。
このままでは互いの信頼関係など築かれるわけはない。それは、サッカーがますます不愉快なものになることを意味している。
Jリーグでは、毎年シーズン前に全クラブの監督を集めてミーティングを行っている。そこではほぼ一方的に、Jリーグから「フェアプレーを守るように」という内容の通達が行われているという。
レフェリーたちに強い不満をもっている人びとに、こんなことをして何の意味があるのだろうか。それより、せっかく全チームの監督が集まる場を、もっと建設的なものに生かせないものだろうか。
たとえば、そのミーティングにJリーグの担当全審判員にも来てもらい、監督たちとディスカッションを行うのだ。感情をぶつけ合うのではなく、どうしたらスムーズに試合が進められるか意見を交換するのは不可能ではないだろう。
Jリーグには豊かな経験をもった外国人監督も多数いる。レフェリーたちは、そうした人びとから有用なアドバイスや、レフェリング技術のヒントを得ることができるかもしれない。
監督たちも、最新のレフェリングに関する知識を得たりレフェリーたちからの要望を聞くことで、自分たちの思い違いや過ちに気づくかもしれない。
それ以上に大事なのは、監督とレフェリーたちが互いをよりよく知り合うということだ。これには、ディスカッションとともに「懇親会」のようなものが役立つだろう。それを通じて、実際にはどういう人物かを互いに知り合うことができる。名前を知り、スタジアムの緊張感のなかで見るのとはまったく別の「素顔」を知ることで、相互関係が変わらないわけがない。
「互いを知る」ことこそ「信頼関係」の第一歩にほかならない。そしてそれがなければ、けっしていい試合は生まれないし、フェアプレーにあふれたリーグにはならない。
なぜか。
答えは簡単だ。
監督や選手、すなわち対戦する両チームと4人のレフェリーたちは、ひとつの試合をつくる「仲間」にほかならないからだ。全員がいい仕事をしなければ、けっして「いい試合」は生まれない。力を合わせて仕事をするには、「信頼関係」が必要不可欠なのだ。
(1996年11月18日)
11月13日に行われた「ポストシーズン・トーナメント」(間違っても「真の王者決定戦」ではない)のサントリーカップ準決勝では、清水エスパルスと名古屋グランパスの対戦でエスパルスのアルディレス監督がベルナール・ソール主審への執拗な抗議で退席処分となった。そのあげく、エスパルスはソール主審が不当にPK戦で自チームのサポーター側のゴールを使わなかったと強い不満を訴えているという。「レフェリーに対する不信感ここに極まれり」という観だ。
こうして監督やチーム、そして彼らの影響を強く受けるサポーターと、レフェリーたちの間に不信感があふれていることは、Jリーグのみならず日本のサッカー全体にとって大きな不幸と言わねばならない。
両者にはそれぞれの言い分があるに違いない。
レフェリーたちは、監督や選手たちのマナーがあまりに悪く、人格的に問題があり、フェアプレー精神などかけらもないと指摘するだろう。一方、監督や選手たちは、レフェリーたちの技術の低さや、あまりに権威をふりかざし、カードを乱発して、しばしば「問答無用」といった態度をとることに強い不満をもっているに違いない。
このままでは互いの信頼関係など築かれるわけはない。それは、サッカーがますます不愉快なものになることを意味している。
Jリーグでは、毎年シーズン前に全クラブの監督を集めてミーティングを行っている。そこではほぼ一方的に、Jリーグから「フェアプレーを守るように」という内容の通達が行われているという。
レフェリーたちに強い不満をもっている人びとに、こんなことをして何の意味があるのだろうか。それより、せっかく全チームの監督が集まる場を、もっと建設的なものに生かせないものだろうか。
たとえば、そのミーティングにJリーグの担当全審判員にも来てもらい、監督たちとディスカッションを行うのだ。感情をぶつけ合うのではなく、どうしたらスムーズに試合が進められるか意見を交換するのは不可能ではないだろう。
Jリーグには豊かな経験をもった外国人監督も多数いる。レフェリーたちは、そうした人びとから有用なアドバイスや、レフェリング技術のヒントを得ることができるかもしれない。
監督たちも、最新のレフェリングに関する知識を得たりレフェリーたちからの要望を聞くことで、自分たちの思い違いや過ちに気づくかもしれない。
それ以上に大事なのは、監督とレフェリーたちが互いをよりよく知り合うということだ。これには、ディスカッションとともに「懇親会」のようなものが役立つだろう。それを通じて、実際にはどういう人物かを互いに知り合うことができる。名前を知り、スタジアムの緊張感のなかで見るのとはまったく別の「素顔」を知ることで、相互関係が変わらないわけがない。
「互いを知る」ことこそ「信頼関係」の第一歩にほかならない。そしてそれがなければ、けっしていい試合は生まれないし、フェアプレーにあふれたリーグにはならない。
なぜか。
答えは簡単だ。
監督や選手、すなわち対戦する両チームと4人のレフェリーたちは、ひとつの試合をつくる「仲間」にほかならないからだ。全員がいい仕事をしなければ、けっして「いい試合」は生まれない。力を合わせて仕事をするには、「信頼関係」が必要不可欠なのだ。
(1996年11月18日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。