Jリーグの開幕まで、わずか18日となった。
2002年ワールドカップを開催しようとしている日本が、その圧倒的な経済力をバックに設立するプロサッカーリーグに世界は大きな興味を示している。同時に、Jリーグが採用する「サドンデス」の延長戦にも、高い関心が払われている。
リーグ戦では90分間が終わって同点の場合には引き分けとというのが世界の常識だ。しかしサドンデス方式ではすべての試合を勝負がつくまで戦わせる。同点だったら30分間を限度とした延長戦を行い、どちらかがゴールをあげた時点で試合が終了となる。
昨年のナビスコカップの盛り上がりは、このサドンデス方式のおかげたというのがJリーグ側の見解だ。だからことしのリーグでもこの方式を採用したいと、川淵三郎チェアマンは早くから明言していた。
一時は国際サッカー連盟からストップがかかったが、最終的には「実験的ケースとして」OKをとり、晴れて採用が決まった。
だが現場の監督や選手、古くからのファンはこの制度に強く反発している。
その理由は、大きく分けて以下の3点となる。
1 週2試合という厳しい日程でさらにサドンデスを導入すると、選手の疲労を蓄積させ、ケガを増やすことになる。その結果、試合の質が低下する。
2 リーグ戦においては、引き分けを狙うのも立派な戦術である。
3 勝負がつくことと、観客が満足することはイコールにならない。
1は日程の問題であり、2は、たとえそんな戦術があったとしても、サッカーのプレーを見せてカネを稼ぐプロサッカーの当事者が主張すべき論理ではない。
しかし3の反対理由には一理ある。サドンデスを採用することは、「サッカー自体は面白くはないかもしれないけれど、勝負を巡るスリルだけはありますよ」とリーグ側が宣伝しているようなものだからだ。
だが今回の「サドンデスの実験」は簡単な断定を許さない。世界のサッカーがかかえる問題に、この方式がひとつの解答をもたらすかもしれないからだ。
いうまでもなく、サッカーは世界で最もポピュラーなスポーツだが、各国国内のリーグ戦は必ずしもうまくいっているわけではない。観客数がジリジリと減り始めている。
80年代に世界の各地で吹き荒れた「フーリガン」の問題、劣悪なスタジアム施設、そしてテレビ中継の普及で、サッカーファンでもスタジアムから足が遠のく傾向にあるのが実情だ。
こうした傾向にストップをかけるために、イングランドでは、「勝ちに2、引き分けに1」という伝統的な勝ち点方式を1981年に「勝ちに3、引き分けに1」と改めた。引き分けの重みを減らし、どの試合でも積極的に勝ちにいく姿勢を出させる狙いだ。
南米では毎年のようにリーグ戦の方式を変える国もある。それはすべて、リーグ戦に対する興味を盛り上げ、ファンをスタジアムに呼び戻すためだ。
こうした試行錯誤の流れを見ると、その究極の形が「サドンデス」にあるのではないかとも思われる。この方式は、ホームであろうとアウェーであろうと、徹底的に勝ちに、点をとりに行くサッカーを強要する。
昨年のナビスコカップは選手たちがプロ意識に燃えて試合内容が盛り上がったのか、それとも、サドンデス方式が攻撃的なプレーをもたらしたのか。それは、ことしのJリーグの試合内容がはっきりと見せてくれるだろう。その結果には、日本のみならず、世界が注目している。
(1993年4月27日=火)
2002年ワールドカップを開催しようとしている日本が、その圧倒的な経済力をバックに設立するプロサッカーリーグに世界は大きな興味を示している。同時に、Jリーグが採用する「サドンデス」の延長戦にも、高い関心が払われている。
リーグ戦では90分間が終わって同点の場合には引き分けとというのが世界の常識だ。しかしサドンデス方式ではすべての試合を勝負がつくまで戦わせる。同点だったら30分間を限度とした延長戦を行い、どちらかがゴールをあげた時点で試合が終了となる。
昨年のナビスコカップの盛り上がりは、このサドンデス方式のおかげたというのがJリーグ側の見解だ。だからことしのリーグでもこの方式を採用したいと、川淵三郎チェアマンは早くから明言していた。
一時は国際サッカー連盟からストップがかかったが、最終的には「実験的ケースとして」OKをとり、晴れて採用が決まった。
だが現場の監督や選手、古くからのファンはこの制度に強く反発している。
その理由は、大きく分けて以下の3点となる。
1 週2試合という厳しい日程でさらにサドンデスを導入すると、選手の疲労を蓄積させ、ケガを増やすことになる。その結果、試合の質が低下する。
2 リーグ戦においては、引き分けを狙うのも立派な戦術である。
3 勝負がつくことと、観客が満足することはイコールにならない。
1は日程の問題であり、2は、たとえそんな戦術があったとしても、サッカーのプレーを見せてカネを稼ぐプロサッカーの当事者が主張すべき論理ではない。
しかし3の反対理由には一理ある。サドンデスを採用することは、「サッカー自体は面白くはないかもしれないけれど、勝負を巡るスリルだけはありますよ」とリーグ側が宣伝しているようなものだからだ。
だが今回の「サドンデスの実験」は簡単な断定を許さない。世界のサッカーがかかえる問題に、この方式がひとつの解答をもたらすかもしれないからだ。
いうまでもなく、サッカーは世界で最もポピュラーなスポーツだが、各国国内のリーグ戦は必ずしもうまくいっているわけではない。観客数がジリジリと減り始めている。
80年代に世界の各地で吹き荒れた「フーリガン」の問題、劣悪なスタジアム施設、そしてテレビ中継の普及で、サッカーファンでもスタジアムから足が遠のく傾向にあるのが実情だ。
こうした傾向にストップをかけるために、イングランドでは、「勝ちに2、引き分けに1」という伝統的な勝ち点方式を1981年に「勝ちに3、引き分けに1」と改めた。引き分けの重みを減らし、どの試合でも積極的に勝ちにいく姿勢を出させる狙いだ。
南米では毎年のようにリーグ戦の方式を変える国もある。それはすべて、リーグ戦に対する興味を盛り上げ、ファンをスタジアムに呼び戻すためだ。
こうした試行錯誤の流れを見ると、その究極の形が「サドンデス」にあるのではないかとも思われる。この方式は、ホームであろうとアウェーであろうと、徹底的に勝ちに、点をとりに行くサッカーを強要する。
昨年のナビスコカップは選手たちがプロ意識に燃えて試合内容が盛り上がったのか、それとも、サドンデス方式が攻撃的なプレーをもたらしたのか。それは、ことしのJリーグの試合内容がはっきりと見せてくれるだろう。その結果には、日本のみならず、世界が注目している。
(1993年4月27日=火)
ワールドカップのアジア1次予選で、日本代表がこれ以上のないスタートを切った。初戦のタイ戦では緊張のせいかチグハグなプレーが目立ったが、以後は試合を追うごとに安定し、アジアの王者らしい堂々とした勝ちっぷりだった。
チームの快進撃とともに成長したのがスタンドのファンだった。応援ぶりのことではない。試合前のセレモニー、国歌吹奏のときのマナーが、このシリーズを通じて大きく改善されたのだ。代表チームや応援ぶりに負けず、この面でも日本のサッカーは急速に世界に追いついてきた。
3月のキリンカップや今回のワールドカップ予選の神戸での初戦では、相手チームの国歌吹奏のときに日の丸や応援旗を振り、応援歌を歌っている人が多かった。また、座席に座ったままの人、移動している人など、国歌吹奏などお構いなしだった。
競技場のスピーカーの能力が低く、大騒ぎしているファンの耳にまったく届かないことも原因だったが、それ以上に日本のファンがこうした「公式国際試合」の経験がほとんどなく、そのマナーを知らなかったことが問題だった。
現代の日本では、国歌や国旗は非常に微妙な状況にあり、多くの人がこれに触れようとせず、遠ざけているように見える。
しかし国歌や国旗に対して、世界中が日本人と同じ感情をもっているわけではない。それどころか、多くの国で、国歌、国旗は大きな敬意を払われている。自国のものに敬意を払えば、当然、他国のものにも同じようにする。それが国際的なマナーだ。
1978年のアルゼンチン・ワールドカップはその点で非常に印象が強い。8万の観衆でいっぱいになったスタジアム。アルゼンチンの人びとは相手国の国歌吹奏が始まるとピタリと動きを止め、手に持った自国の旗を下ろし、水を打ったように静かになった。吹奏が終わると、「万雷の」という言葉がふさわしい、盛大な拍手を送った。
86年メキシコ・ワールドカップでは、感動的なシーンに遭遇した。
地元メキシコの初戦、ブルガリア戦のことだった。ワールドカップでは国歌吹奏は生のバンドが原則だが、この大会は開催を返上したコロンビアの代替開催だったため準備が整わず、録音テープが使用された。
まずブルガリアの国歌が終了。しかしどうしたことか、メキシコ国歌が始まらない。1分、2分と経過するが、機械の故障か、いっこうに始まる気配がない。この不手際に、観衆からは大きな口笛が吹かれる。ついに主審が解散を指示、両チームの選手ははじかれたようにフィールドに散る。
どこからともなく合唱が始まったのはそのときだった。それはあっという間にスタンド全面に広がり、10万人の大合唱になった。もちろん、メキシコ国歌だった。散りかけていたメキシコの選手たちはこれを聞いてすぐフィールドの中央に整列し、胸に手を当てて観衆の大合唱に加わった。
このちょっとした事件はメキシコの選手たちの闘志に火をつけた。「ベルギー有利」の前評判を覆し、メキシコはすばらしいプレーで勝利を収めたのだ。
今回のワールドカップ予選、国歌吹奏のときの観客のマナーは試合を追うごとに良くなった。4月18日の対UAE戦では、ほぼ全員が起立し、動いている人もほとんどいなかった。
マナーにのっとったセレモニーは、「国際試合」の雰囲気をさらに盛り上げてくれる。それは、日本代表選手たちの集中力を高め、勝利に対する意欲をさらにかきたてたに違いない。
(1993年4月20日=火)
チームの快進撃とともに成長したのがスタンドのファンだった。応援ぶりのことではない。試合前のセレモニー、国歌吹奏のときのマナーが、このシリーズを通じて大きく改善されたのだ。代表チームや応援ぶりに負けず、この面でも日本のサッカーは急速に世界に追いついてきた。
3月のキリンカップや今回のワールドカップ予選の神戸での初戦では、相手チームの国歌吹奏のときに日の丸や応援旗を振り、応援歌を歌っている人が多かった。また、座席に座ったままの人、移動している人など、国歌吹奏などお構いなしだった。
競技場のスピーカーの能力が低く、大騒ぎしているファンの耳にまったく届かないことも原因だったが、それ以上に日本のファンがこうした「公式国際試合」の経験がほとんどなく、そのマナーを知らなかったことが問題だった。
現代の日本では、国歌や国旗は非常に微妙な状況にあり、多くの人がこれに触れようとせず、遠ざけているように見える。
しかし国歌や国旗に対して、世界中が日本人と同じ感情をもっているわけではない。それどころか、多くの国で、国歌、国旗は大きな敬意を払われている。自国のものに敬意を払えば、当然、他国のものにも同じようにする。それが国際的なマナーだ。
1978年のアルゼンチン・ワールドカップはその点で非常に印象が強い。8万の観衆でいっぱいになったスタジアム。アルゼンチンの人びとは相手国の国歌吹奏が始まるとピタリと動きを止め、手に持った自国の旗を下ろし、水を打ったように静かになった。吹奏が終わると、「万雷の」という言葉がふさわしい、盛大な拍手を送った。
86年メキシコ・ワールドカップでは、感動的なシーンに遭遇した。
地元メキシコの初戦、ブルガリア戦のことだった。ワールドカップでは国歌吹奏は生のバンドが原則だが、この大会は開催を返上したコロンビアの代替開催だったため準備が整わず、録音テープが使用された。
まずブルガリアの国歌が終了。しかしどうしたことか、メキシコ国歌が始まらない。1分、2分と経過するが、機械の故障か、いっこうに始まる気配がない。この不手際に、観衆からは大きな口笛が吹かれる。ついに主審が解散を指示、両チームの選手ははじかれたようにフィールドに散る。
どこからともなく合唱が始まったのはそのときだった。それはあっという間にスタンド全面に広がり、10万人の大合唱になった。もちろん、メキシコ国歌だった。散りかけていたメキシコの選手たちはこれを聞いてすぐフィールドの中央に整列し、胸に手を当てて観衆の大合唱に加わった。
このちょっとした事件はメキシコの選手たちの闘志に火をつけた。「ベルギー有利」の前評判を覆し、メキシコはすばらしいプレーで勝利を収めたのだ。
今回のワールドカップ予選、国歌吹奏のときの観客のマナーは試合を追うごとに良くなった。4月18日の対UAE戦では、ほぼ全員が起立し、動いている人もほとんどいなかった。
マナーにのっとったセレモニーは、「国際試合」の雰囲気をさらに盛り上げてくれる。それは、日本代表選手たちの集中力を高め、勝利に対する意欲をさらにかきたてたに違いない。
(1993年4月20日=火)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。