サッカーの話をしよう

No9 グラウンドが足かせ 草サッカー

 Jリーグの人気に引っぱられ、会社や学校、あるいは地域の仲間のチームがどんどん増えている。都内の某サッカー専門店の話によると、チーム単位のユニホーム注文が例年の数割増しになっているそうだ。チームを結成すると、何はともあれ、ユニホームをつくることから始めるからだ。
 これまでも、小学生から高校生にかけての男子ではチーム数や選手数はとっくに野球を抜いていた。それがやっと大学生や若い社会人にも及んできた。
 だが、競技人口は本当に増えるだろうか。サッカーを楽しめる人が、ユニホームの売り上げと同様に増えていくのだろうか。実は、日本サッカーの発展を阻む要素が、新しくチームをつくった人びとの前に大きく立ちふさがっている。

 東京のある会社で、高校時代にサッカー経験のあるA氏が中心となり新しいチームをつくったとしよう。メンバーはすぐ集まる。A氏はユニホームを決め、注文する。大好きなJリーグクラブと同じものだ。ユニホームが完成するころにデビュー戦をしようと対戦相手を探す。これも簡単。同じようなチームが周囲にたくさんあるからだ。
 だがここで壁に出会う。グラウンドがないのだ。都内の企業で社員のためにグラウンドをもっているところなどほんのひと握り。公立のグラウンドを借りるしかない。だがそれが不可能に近いことなのだ。

 東京の各区はそれぞれ区営の運動施設をもち、一般に貸し出している。だがサッカー場が占める割合はほんのわずかだ。
 たとえば世田谷区には区営の野球場が15面ある。だがサッカー場は2面だけ。野球場も足りないのだが、サッカー場不足はそれどころではない。区によっては、サッカー場が一面もないところもある。
 こうした公営の施設はたいてい抽選方式。だが大半の抽選は平日の午前中。A氏が行こうと思ったら有給休暇をとらねばならない。
 そして昨年から、都内のサッカー場はさらに取りにくい状況にある。「ラクロス」の影響だ。アメリカから輸入されたこの競技は、大学生の間で急速に人気が高まっている。そしてラクロスにちょうどいいのがサッカー場なのだ。新しい競技なので学校の施設は使えない。公共の施設を借り歩くことになる。彼らは互いに情報を交換し、抽選会には下級生を中心に大量動員してグラウンドをとっていってしまう。
 かくして、A氏のチームはグラウンドをもっている大企業チームと1試合しただけで休眠状態にはいり、真新しいユニホームもタンスのこやしと化す。
 東京以外でも、少し大きな都市ならこうした状況は同じだと思う。土地の高い日本でサッカーグラウンド1面の土地を新しく確保するとしたら、一体いくらかかるのか。グラウンドがなければ、サッカーはできない。競技人口を増やすのも不可能だ。

 こうした状況を打破するには、大きく分けて2つの道がある。ひとつは「ミニサッカー」を普及させること。狭い土地や体育館でもできる5人制サッカーが普及すれば、競技人口も増える。ブラジルでもリオなどの大都市では盛んで、ジーコはミニサッカーから生まれたスターだ。
 もうひとつの道は、学校や企業に属しているグラウンドを地域社会の財産とすること。もっと一般に開放し、有効に使うことだ。
 Jリーグは「地域に密着した総合クラブを通じて誰でもスポーツを楽しめる社会をつくること」を究極の理念としている。そのためにネックになるのがグラウンドであることは明白だ。

(1993年6月29日=火)

No8 観戦の基礎知識 オフサイド

 互いのゴールを攻め、守るという単純明快なスポーツ、サッカー。そのなかで唯一わかりにくいのがオフサイドルールだ。
 パスが2本、3本とつながり、最前線のFWにボールが出る。「シュート!」と身を乗り出すと無粋なホイッスル。オフサイドがわかれば、観戦ももう少し面白いのに、と思う人も多いのではないだろうか。

 オフサイドは、ルールが統一される前、英国の私立高校でそれぞれのルールの下で行われていた時代に誕生した。敵ゴール前にこっそりといて得点する卑劣な方法を禁止したものだ。現在のルールは以下のように整理するとわかりやすい。
 最初に「オフサイドポジション」を想定する。
 ①相手陣にいる。
 ②ボールより前にいる。
 ③相手の後ろから2番目の選手より前に出ている。
 3つの条件を全部満たすと、その選手は「オフサイドポジションにいる」ことになる。「前」というのは「相手側ゴールラインにより近い位置」という意味。たいていの場合はGKがゴールについているから、いちばん後ろのDFより前に出ているとオフサイドポジションとなる。
 だがこのポジションにいるだけでは反則ではない。その選手に向かってパスが出されたときに初めてオフサイドの反則になるのだ。

 整理してみると意外に簡単なルール。わかりにくいのは、反則かどうかの判断をするタイミングが、パスがFWに渡ったときではなく、後ろの選手がパスを出した瞬間だという点だ。パスが飛んでいる間にFWが前に出た場合にはオフサイドではないし、逆にパスが出てからDFが戻ったときにはオフサイドだ。
 ここで問題なのは「オフサイドトラップ」。相手がパスをする直前にDFが前に出て、FWをオフサイドにしてしまうという守備戦術だ。ルールができたときの精神からすると、このFWは卑劣な方法をとったわけではないが、今日の解釈ではこれもオフサイドの反則となってしまう。
 大変なのはラインズマンだ。真横から見ていると、DFとFWが出たりはいったりする。パスが出た瞬間にどちらが前にいたか、正確に見るのは至難の業なのだ。その結果、ワールドカップのような世界の一流の審判が集まる大会でも誤審が起こる。オフサイドの判定は直接得点チャンスにつながる。だから大きな議論となることが多い。

 先日のヴェルディ対ガンバ戦のカズの決勝ゴールもその例だった。百人が百人オフサイドという印象をもつ場面だったので、なおさらだった。しかしVTRを詳細に見ると、判定は正しかったようだ。
 笛が吹かれる前に「オフサイド!」と言って周囲の尊敬をかちとる秘密の方法がある。ラインズマンを見ることだ。オフサイドの反則があったとき、ラインズマンはその場に止まって旗を真上にあげる。「これは?」と思ったときにすばやくラインズマンを見れば、いち早くオフサイドを知ることができるのだ。

(1993年6月22日=火)

No7 Jリーグの運営にボランティアの活用を

 第1ステージの入場券はもう1枚も残っていないというJリーグ。今後の全試合が定員いっぱいの競技場で行われることになる。
 当然、周辺道路の誘導、場内警備、案内、入場券切りなど、試合の運営のためにたくさんの人が必要となる。運営の中心はもちろん各クラブの職員だが、1万人規模の小さなスタジアムでも警備会社社員、アルバイトなどで200人以上の人員が配置される。

 昨年6月、スウェーデンで欧州選手権が行われた。8チーム参加の小さな大会だったが、運営の見事さ、とくにボランティアの仕事ぶりは印象的だった。
 試合の日スタジアムに向かうと、IDカードを首から下げ、黄色いジャンパーを着た補助役員が、町のあちこちから三々五々出てくる。年配の男性が多い。決まった時間に決まった場所につくと、誰の指示を受けるでもなくそのまま競技場周辺での案内、ゲートでのチェックなどの仕事を始める。そして仕事が終わるとそのまま帰宅する。

 不思議だったのは、補助役員といいながら、大会運営や競技場運営の知識が非常に豊富だったことだ。持ち場でないことを質問しても、たいていは正しい回答を出してくれた。
 「大会中は4会場を合わせて約3000人のボランティアが働いてくれています。彼らの大半は普段の国内リーグでも地元クラブのために活動しているので、仕事としては慣れたものなのです。もちろん無給。補助役員の制服である大会マーク入りのジャンパーや感謝状をもらうだけで、喜んでやってくれています」
 大会組織委員会委員長でもあったスウェーデン・サッカー協会専務理事ラルス・オルソン氏はこのように説明してくれた。
 ボランティアの紳士たちは、日ごろから親しんだ競技場で日ごろから慣れた仕事をしていたのだ。ヨテボリのスタジアムで場内の案内をしてくれた人は、2週間に一度行われるIFKヨテボリ(スウェーデンの強豪クラブ)の試合でも、同じことをしているのだ。
 彼らの多くはすでに仕事を引退した人で、こうして地元のクラブやサッカーのために働けることを、このうえない喜びとしているということだった。

 さて、Jリーグではどうか。前述したように、補助役員の大半はアルバイトというのが実情だ。地域のサッカー協会の役員が働いている場合もあるが、無償というわけではない。高校のサッカー部員を動員するときにも同じだ。そして日本の競技運営の習慣として、必ず弁当がつく。
 ここに徐々に本当のボランティアを導入したらどうだろう。ゆくゆくは、アルバイトなど頼まなくてもいいようにするのだ。
 Jリーグは「地域に密着する」ことを標榜し、「ホームタウン制」をとった。地元自治体は競技場整備のために何億、何十億という巨額を投じた。だがそれは「あとは市民が楽しめる試合をやってくれればいい」ということではない。Jリーグクラブが、多方面から地域の生活を「豊か」なものにしてくれることを願っているに違いない。
 クラブ運営のために大金を投じているのはスポンサーの企業。しかしクラブは地域市民のもののはず。

 運営経費を落とすための提案ではない。地域の人々にボランティアの機会を提供することも、地域の生活を豊かにする重要な要素だと思うのだ。
 警備のような特殊な仕事を除き、クラブ職員とボランティアで試合運営ができるようになったとき、クラブはやっとホームタウンのものになったといえるのではないだろうか。

(1993年6月8日=火)

No6 サポーターも社会貢献

 密かに心配していた。
 Jリーグのサポーター・コントロールだ。昨年のナビスコカップで誕生し、今季も試合ごとに増え続けているサポーター。しかし問題も生まれ始めていた。

 そのひとつが花火や発光筒、爆竹などの危険物。スタンドからの飛び下りにはいろいろと対策を実施されているサッカー界だが、花火や爆竹には抜本的な対策は練られていない。4月のワールドカップ予選でも花火、発光筒がスタンドで使用された。しかし優しい女性の声での「使用は禁止されております」の場内アナウンスがあったのみ。
 サポーターの活動が盛んになるにつれて、ライバルチーム同士のサポーターの衝突も懸念された。
 国際サッカー連盟が現在もっとも気にかけているのがスタジアムの安全と保安の問題。地震国日本だけに建築の基準が厳しく、外国に見るような危険な観客席はまずない。しかし保安問題は、ほとんど考えられていないのではないか。

 外国では、スタジアムの保安対策としてまず入場者の持ち物チェックを行う。ここで花火や発光筒などの「危険物」の持ち込みはストップされる。そして場内では、ホームとアウェーのサポーターはきっちりと分かれた場所に入れられる。
 開幕以来、花火や爆竹はいろいろなところで見られた。そのたびに係員が飛んでいったが、危険物を投げ込んだ「犯人」を探すことは不可能だった。
 とくにヒヤっとしたのは4月19日、浦和駒場で行われた試合。ロケット花火、発光筒、爆竹と、危険物のオンパレード。このままでは入場者の全員に持ち物チェックを実施しなければいけないと感じた。

  しかし──。
 この後何が起こったか、読者の皆さんは想像がつくだろうか。
 レッズのサポーターたちは、この試合後にスタンドで「反省会」を開き、こうした危険物は一切やめようと話し合ったというのだ。そしてリーダー格の青年たちが、若いサポーターたち(中学生、高校生が多い)に、「絶対にケンカはするな、スタンドから飛び下りようとする子供がいたら止めろ」などと、サポーターとしての心がまえ、守らなければならないルールを教えているというのだ。
 「いつまでも僕らがリーダーとしているわけにはいかないから、いまのうちに後輩たちにたたきこんでいるんですよ」と、あるリーダーは語る。 日本のサポーターは実に賢い。外国でサポーターがフーリガン(ならず者)になっていった過程をよく理解し、見事に教訓とした。

 5月26日にジェフ市原とのアウェー戦でレッズが東京・国立競技場に初登場したとき、競技場側は花火などの行為があるのではと、相当警戒した。
 しかし試合がが始まってみると、職員たちの不安は感嘆に代わった。レッズのサポーターたちは悪評高いチアホーンを使用することもなく、声と手拍子だけでチームを励ました。そして試合終了後、彼らはスタンドのゴミをひとつ残らず拾い集めて帰ったのだ。
 Jリーグの理念のひとつが「地域社会への貢献」。受験戦争とTVゲームでつながりを寸断された若者たちが、まるで昔の「ガキ大将」のようなリーダーたちに導かれているのは、Jリーグが生んだ新しい社会現象。間接的だが、このような形で社会に貢献できるとは、川淵チェアマンも予想していなかっただろう。
 開幕以来4連敗だったレッズ。チームの士気を保ち、地元初勝利をもたらしたのは、無条件の愛情を示し続けた日本一のサポーターの存在だった。

(1993年6月1日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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