サッカーの話をしよう

No34 サドンデスはやはり間違い

 Jリーグの1年が終わった。日本サッカー、いや日本スポーツの「平成維新」といっていいほどJリーグの登場は衝撃的で、同時にたくさんの人に21世紀の日本社会とスポーツのつながりを考えさせた。
 「Jリーグ理念」の理解を広めるのは、オフサイドルールをわからせるより難しいことと思っていた。だが年末の「ヴェルディ移転事件」では、その理念をたくさんのメディアが語り、多くの人が理解を示した。それは1年目のJリーグが大成功を収めたことの何よりの証明だ。
 しかし川淵チェアマンがいうとおり、Jリーグは前進しながら考え、成長していくもの。大成功を収めたからといって手放しで喜んでいるわけにはいかない。さらによいリーグにするために考えなくてはならないことは少なくない。そのひとつが「サドンデス」方式の再検討だ。

 リーグ戦に引き分けを認めず、サドンデスの延長戦を行うというのは、世界に例を見ない方式。国際サッカー連盟(FIFA)から最初は禁止されたが、再度の交渉で「実験」として認められた。
 半年前の本コラムで、私はサドンデスを「リーグ戦の興味を盛り上げる究極の形」と書いた。現代のサッカーは、勝つことばかりにこだわり、観客を楽しませる攻撃的な姿勢が消えていること、簡単にいうと得点が減少していることが、大きな問題だからだ。
 そうした視点でサドンデスを見ると、結果は成功ということができる。全185試合中、延長戦が45試合。ちょうど4分の1。そのうち90分間終了時に0−0だったのは15試合にすぎない。しかも15試合中延長戦でもゴールがなかったのは7試合。96六%の試合で得点が記録されたことになる。
 サッカーの大きな魅力はやはり得点シーン。Jリーグのサドンデス方式は、たくさんのファンになにがしかの満足を与えたはずだ。

 だが、サッカー自体の価値がサドンデスによって高められたわけではない。
 最初はスピード感や激しさばかりクローズアップしていたマスメディアも、シーズンが進むにしたがってスターたちの天才ぶり、高度なチームプレー、そして戦術の妙などに目を向けるようになった。それによって、サッカーに関する知識は大きくふくらんだ。
 もはや人びとはゴールシーンや勝者がはっきりと決まることだけでは満足しない。ジーコやディアスの天才プレー、ヴェルディ川崎の見事な組織力、井原の抜群の読みといった「特別なもの」を見たいと思ってスタジアムに足を運び、テレビ中継に注目する。
 引き分けが単なる「勝負なし」ではなく、「勝ち点1」にとてつもなく重い意味があることも、「カタールの悲劇」を通じて多くの人が理解した。

 サッカーのリーグ戦は、毎週優勝が決まるプロゴルフとは違う。勝ち点を積み重ね、「継続の力」で栄光を勝ち取るものだ。そのなかで引き分けの占める地位は低くはない。
 サドンデスの面白さに異論はない。観客数の減少に悩む欧州や南米のリーグが採用すれば大きな「カンフル剤」となるはずだ。だがサッカーの本当の面白さが理解されつつあるJリーグに必要とは思えない。
 攻撃的な姿勢を崩させないためには、ワールドカップでも採用が決まった「勝利に3、引き分けに1」の勝ち点方式で十分。Jリーグが自らの「サッカー」自体の価値を高めたいと考えるなら、サドンデスはしばらく金庫のなかにしまっておくべきだろう。

(1993年12月28日=火)

No33 サポーターを根付かせるために

 1993年は日本のサッカーにとって歴史的な年だった。新聞・雑誌には過去数10年間に日本で印刷された全記事に匹敵する量の情報があふれ、テレビでは時間にして数倍の番組やニュースが流れた。
 これを可能にしたのが、スタジアムのすばらしい盛り上がりぶりだった。選手の意識が変わって試合も迫力十分になった。それを満員のスタンド、そしてサポーターの存在が支えた。

 「Jリーグ」とともにすっかり時代の言葉になってしまった「サポーター」。視覚と聴覚に訴える彼らの存在は、プロサッカーに欠くことのできない要素だ。かつて、日本のサッカーが「つまらない、迫力がたりない」と思われ続けた大きな要因は、がらがらのスタンドと、サポーターの不在だったからだ。
 だが、ヨーロッパや南米などの「サッカー先進国」では、「サッカーの重要な一部」であるべきサポーターが時として大きな問題となっている。スタンドでの暴力、スタジアム周囲での暴行などを起こす一部の青少年は「フーリガン」(ならず者)と呼ばれ、社会問題化している。失業率の高さなど、若者にとって「明日」に希望がもてない社会が、その背景にある。

 12月11日の天皇杯2回戦で、浦和レッズのサポーターが宇都宮のグリーンスタジアムの警備員とトラブルを起こした。テレビのニュースはサポーターが物を投げたり、警備員ともみ合うシーンを流し、スポーツ紙は「フーリガン」と報じた。逆転負けのはらいせという理由だった。
 紙くずや空き缶を投げたり、「審判を出せ」と本部に押しかけるなどの行為は許されるものではない。しかし事実はそう単純ではなかったようだ。
 初めて見るレッズのサポーターの迫力に、警備担当者が過剰に反応したこと、ゴール裏のサポーターではなく、一般席のファンから投げられた物もある。それをすべて、「サポーターが悪い、フーリガンだ」で片づけるのは、あまりに短絡的ではないか。

 以前も書いたが、レッズばかりでなく日本のサポーターの中心は外国の状況をよく知っている。自分たちのなかからフーリガンを出さないためにどうしたらいいか、非常にしっかりと考え、行動している。
 9月3日にレッズが浦和でヴェルディに0−6で負けたとき、スタンドの一般ファンが物を投げ始めた。すると、サポーターたちはいっせいに叫び、「レッズが好きなら投げるのはやめろ、投げるならオレたちに向かって投げろ」と言ったという。

 天皇杯の1回戦では、レッズの試合の後にダブルで組まれた横浜フリューゲルス対田辺(関西リーグ)戦で、レッズのサポーターたちが田辺に熱狂的な声援を送った。初めてサポーターの歌声を背に試合をした田辺はすばらしい戦いを展開し、終盤には1点を奪う健闘を見せた。
 試合後、感激した田辺の選手たちは、自社の応援団へのあいさつの後、全員でレッズのサポーター席に向かった。後日、感謝状まで届いたという。
 いまやサポーターの存在は当然のものとなり、だれもその価値を語ろうとはしない。だが、日本のサポーターはまだ完全に根づいたものとはなっていない。周囲の扱い方ひとつで、消えてしまうかもしれないし、フーリガンと化すことも十分考えられる。
 サポーターがサッカー文化の重要な一翼を担うものであるなら、周囲の関係者やマスメディアの責任は大きい。日本で本格的なサポーターが定着するか。この歴史的な年の暮れ、私たちはその岐路に立っている。

(1993年12月21日=火)

No32 クラブとホームタウンは恋愛関係

 サッカークラブとそのホームタウンは「ラブアフェアー」(恋愛関係)だ。
 互いに求め合い、互いに与え合うなかで、新しい価値を築いていく。そのベースは相互の信頼。互いに欠点があっても、それを改める姿勢があればうまくやっていくことができる。

 五月にJリーグが始まった時点では、リーグの理念の理解はそれほど広まってはいなかった。
 しかし第一ステージで鹿島アントラーズが快進撃を見せて地元が大きくクローズアップされたとき、ファンばかりでなく、他のホームタウンやクラブも、Jリーグの理念を具体的な例として見ることができた。
 スポーツはスポーツであり、それを何かのためにと位置づけることは本意ではない。しかし最高の「恋愛関係」がホームタウンやプロのチームの双方をいかに幸せにしてくれるか、鹿島の例によって、だれもが理解したはずだ。
 だからこそ、日本の各地に「自分の町にもJリーグのチームがほしい」という動きが出てきたのだ。
 その点で、今回のヴェルディの「調布移転」騒ぎは非常に残念といわざるをえない。片方が一方的に、他の相手に乗り換えようとしているのだから。

 スタジアムの整備という点でホームタウン側の努力がこれまで不足していたとしても、別の人と新しく婚約しながらそれまでの恋愛関係を続けることはできない。そんな簡単なことの理解がヴェルディにも新しく「婚約者」になろうとしている調布市にもなかったことは信じがたいことだ。
 横浜と九州の三都市をホームタウンとする横浜フリューゲルス、スタジアムのある吹田市をホームタウンとしながら「大阪」を名乗るガンバ大阪、あるいはスタジアム収容人員の不足など、Jリーグには規約の逸脱が放置されている例がある。しかし新しく加入するクラブには、「湘南ベルマーレ」を「ベルマーレ平塚」に改めさせるなど厳格な態度がとられている。現在逸脱しているクラブも、近いうちに改善が要求されることになるだろう。
 「企業名をはずす」という原則も、現在は猶予期間ということになっている。九五年には正式なクラブ名から企業名をはずすよう要請が出されるはずだ。
 「正常な恋愛関係」のクラブとホームタウンで運営していくことが、Jリーグにとっての「生命線」であるからだ。
 こうしたクラブとホームタウンの「恋愛関係」が理解できていれば、ヴェルディの「移転騒ぎ」など起こるはずはなかった。

 クラブ側が恋愛関係を壊すなら、ホームタウン側は期限つきでなく即座の関係解消を迫るはずだ。川崎市には、東芝、富士通、NKKというチームがある。いずれも企業のチームだが、すぐ下のJFL所属の強豪で、等々力競技場を使いたいと願っているはずだ。ヴェルディを失っても、川崎市はトップクラスのサッカーを失うことはない。
 そうなったら、ヴェルディはどこに行くのか。「ヴェルディ調布」が実現する数年後までどうするのか。
 こんな状況が日本のサッカーやファンにとってハッピーなはずはない。
 ホームタウンとクラブが恋愛関係なら、ホームタウン側がクラブを見限ることもある。努力の不足と強化体制の遅れによって弱体化の一歩を歩むクラブは、ホームタウンから「これでは市民が幸せになれないから出ていってくれ」と言われることは十分ありうる。
 双方の努力なくして「恋愛関係」を幸せに継続することはできない。

(1993年12月14日=火)

No31 GKに甘いPKルール

 少し古い話になるが、8月28日のJリーグ、清水エスパルス対ヴェルディ川崎戦で興味深いシーンがあった。0−0でPK戦となり、ヴェルディ5人目の石川のキックのときだ。
 エスパルスのGKシジマールが左に跳んで見事シュートをストップ。だが菊池光悦主審はやり直しを命じる。こんどは逆サイドに飛んだボールをまたもシジマールが押さえた。ではなぜ最初のキックはやり直しになったのだろうか。

 ルールでは、PKのときのGKの動きを次のように規定している。
 「守備側のゴールキーパーは、ボールがけられるまで、両ゴールポスト間のゴールライン上に、(足を動かさずに)立っていなければならない」
 この規定に違反があった場合には、「得点を認めずペナルティーキックをふたたび行う」となっている。
 シジマールは石川のキックより早く左足を左前へ大きく踏みだし、見事ボールを止めた。菊池主審の判定はまったく正しいといわねばならない。
 問題は、今日、トップクラスのGKの大半はキックの前に動き、ヤマを張ってダイブするということだ。それによって、80%、90%というPKの確率を、70%以下に下げようというのだ。

 キッカーは原則としてどちらかの隅を狙う。だがGKがヤマをかけてダイブすることを見越して中央に力いっぱいける選手もいる。いずれにしても、右か、中央か、左か、三つにひとつの選択だ。しかも人間がものを見てからの体を動かすまでの「反応時間」を考えると、キックを見てから跳ぶのではけっして間に合わない。だからGKはヤマをかけてダイブする。
 しかも、できるだけシュートの角度をカバーできるように、できるだけ前進してダイブしようとする。その結果、キックの前にゴールラインを離れるプレーが横行する。
 審判がルールを厳格に適用すれば、このようなことはないはず。しかし、「PKははいって当たり前。少しぐらい先に動いても、ストップすればGKのファインプレー」という考えでもあるのだろうか、GKが先に動いたということでやり直しを命じる審判はほとんどいない。

 これは日本だけの話ではない。世界中の審判が同じように「GKに甘い」判定をしているのだ。
 サッカーのルールはたった17条しかなく、非常にシンプルなものだが、それだけに、大半はしっかりと適用されている。このPKのときのGKに動きに関する規定ほど無視されているものはない。
 ルール違反を見逃すのが常識となっているといっても、ルールはルール。審判が適用しようとすれば、いつでもできる。そしてそれは、はっきりいって何の基準もなく突然適用される。このまま放置すれば、大きなスキャンダルにつながる危険性をはらんでいる。

 今日では、PK戦という新しい状況が生まれ、PKルールの重要性は以前にも増して大きくなっている。90分間の勝利もPK戦の勝利も同じ比重のJリーグはもちろん、ワールドカップでも、ベスト16の試合から決勝戦まで、最終的に勝負を決める手段はPK戦となっているからだ。
 国際サッカー連盟(FIFA)は、現行のルールのままでいくなら、審判に対して厳格に判定するように指導しなければならない。また、GKがキックの前に動くことを認めるのなら、ルールを改正しなければならない。いずれにしろ、ルールが無視されている状態をこれ以上続けることはできない。

(1993年12月7日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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